はじめに
2025年7月、Nature Genetics誌に掲載された英国のWellcome Sanger研究所、ケンブリッジ大学、CUH(Cambridge University Hospitals NHS Foundation Trust)による共同研究は、化学療法が正常な血液細胞に与えるDNA損傷の新たな「変異シグネチャー」を明らかにしました。これは、がん治療の個別化と副作用軽減に向けた重要な一歩であり、ゲノム医療の新たな可能性を示唆しています。
研究の背景と目的
化学療法は、がん細胞を標的とする一方で、正常組織にも影響を与える全身的治療法です。副作用や二次がんのリスクが知られているものの、その分子メカニズムは未解明な部分が多く残されています。
本研究では、Cancer Grand Challengesの「Mutographs」チームが、血液および固形がんの治療を受けた23人の患者の血液細胞ゲノムを解析。血液は変異数の個人差が少なく、サンプリングや培養が容易なため、化学療法の影響評価に最適な材料とされました。
技術的革新:全ゲノム解析と変異シグネチャーの同定
- 全ゲノムシーケンシング(WGS)により、数百万の塩基配列を解析し、微細なDNA変異を網羅的に検出。
- 21種類の化学療法薬に対して、4つの新しい変異シグネチャーを同定。
- 例:カルボプラチンやシスプラチンは高頻度の変異を誘発するが、同じ白金系でもオキサリプラチンはそうではない。
- 造血幹細胞のクローン解析により、治療後の「早期老化」や「クローン拡大」の兆候を検出。
主な発見とその意義
- 薬剤ごとの変異誘発性の違い
同じ薬剤クラスでもDNA損傷の程度が異なることが判明。副作用の少ない薬剤選択が可能に。 - 年齢と変異数の逆転現象
神経芽腫治療を受けた3歳児の血液には、化学療法未経験の80歳の10倍以上の変異が確認。 - 造血幹細胞の加速老化
小児患者では、治療後に老化したような血液構成が見られ、将来的な二次がんリスクの指標となる。
臨床応用の可能性
- 個別化医療の推進
- ゲノムプロファイルに基づき、変異誘発性の低い薬剤を選択。
- 治療効果を維持しつつ、副作用を最小限に抑える治療計画が可能に。
- 小児がん患者の長期フォローアップ
- 老化指標を用いたゲノムモニタリングにより、二次がんリスクの高い患者を早期に特定。
- 予防的介入の設計が現実的に。
- リキッドバイオプシーとの連携
- ctDNAを用いた微小残存病変(MRD)の検出により、再発リスクのある患者への個別対応が可能。
- ゲノム医療の拡張
- 変異シグネチャーをバイオマーカーとして活用し、治療感受性や副作用リスクを事前に予測。
- BRCA1/2変異患者へのDDR阻害薬併用療法など、合成致死性を活用した戦略が有望。
今後の展望と研究課題
- 多組織・多時点でのサンプリングにより、全身的な副作用マップの構築が期待される。
- 免疫療法や放射線療法との併用戦略への応用も視野に。
- 造血幹細胞の老化メカニズムと二次がんリスクの因果関係の解明が急務。
科学者への問いかけ
この研究は、化学療法の「見えない副作用」をゲノムレベルで可視化した初の包括的試みです。今後、がん治療の個別化と副作用軽減に向けて、どのような研究設計が求められるでしょうか?また、変異シグネチャーを活用した創薬や予防医学の展開において、どのような技
術的課題が残されているのでしょうか。今後の研究の展開を注意深く見極める必要があります。
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